せっかくの人生だもの。

ワシントンDC大学院生2年目。人権、社会、女性問題について勉強中。ゆるーり感じたことを書いてます。

大人になっても死ぬまで一番心にとめて置きたいお話

 

「君の雑炊を食べたい」の間違いなんじゃない???!

 

映画「君の膵臓を食べたい」を見に行ったと聞いた友達が眉間に皺を寄せてなんとすごい名前!と驚いていた。

まあそういう反応になっても仕方がないと思う。

 

原本を知らなかった私も、最初この題の映画が出ると知ったときはなにかグロめの映画かと思った。

 

だけどこれ、とってもとってもとっても素敵な純愛映画でした。

 

 君の膵臓を食べたい に対する画像結果

 

 

ちなみに今から行く人は、タオル2枚いりますので、覚悟の上…

 

 

 

 

どれだけ泣くかはさておき。

 

この映画を見る前から私最近よく考えることがあった。

 

「男なんて星の数だけいるんだから」というよくあるセリフ。

若い時の私は、恋愛なんてまだこれからの人生の経験として見ていた。確かに男なんて星の数ほどいる。もちろん、今の恋愛に満足していなくて自分が幸せじゃなかったらきっと合っていないのかもしれないし、お別れした方がいいかもしれない。

 

だけど、もしこの人は素敵だ、と単純に心がそう感じたら、本当に大切にしたほうがいい。

小さな芽に毎日わくわくしながら、よしよししながら水をやっていた子供の頃のように、本当に大事にしたほうがいい。

 

相手を悲しませることはしない、裏切ることもしない、素直になる。

全部ひっくるめて、相手を思いやる気持ちを忘れてはいけない。

 

本当にいつなにがあるかわからないから。

 

 

 

そして、この映画で出てくる「星の王子さま」という本。

昔から読み継がれてきた有名なあの本。

あの本の中の、<王子さまが育ててきた一本のバラを星に置いて、地球にある何本ものバラに出会うも、後からあの一本しかないかけがえのないバラの大切さと愛おしさに気付く>というあのシーン。

 

きっとこの映画はそういうことも伝えたかったんじゃないかと思う。

後から気づくなんて遅いんだ、今ここで自分の目の前に在る愛おしいバラ<人>を今この瞬間に大切にしなきゃいけないんだ。って。

 

そういう風に心の底から想える相手なんてそうそう星の数いないから。

 

彼氏彼女に限らず、大切な親友も家族も。

 

 

 

 

 

こんなにも心がぎゅっとなる映画に最近出会っただろうか…

 

映画館で悲しい映画を見ることが嫌いな私が素晴らしい映画だったとここまでおすすめするのだから、絶対に見てください。

 

 

 

アメリカに帰りたい自分と帰りたくない自分

 

DCに帰るまであと2週間ほど。

早めに日本とDCの切り替えをしておかねばと思う。

 

 

日本で出来ることや日本のものが恋しくて3か月も日本にいられるとわくわくで一時帰国した5月。

実際戻ってみるとやはり生きづらいところはある。

例えば帰った時の「太った?」っていう挨拶。

挨拶は太った?じゃなくてこんにちはでしょ、と言いたくなる。「やっぱりジャンクフード多いからそうゆう生活ばっかり?」って。遠まわしに太ったねって言うなよ。(しかも3キロやそこら太ったことなんて私これっぽっちも気にしないから、こちらからすれば、そこ、突っ込むんだねという気持ち)

 

None of your business(あなたには関係ない)って心の中で何回も思ったし、口にも出した。

なんでこんなに私自身がそんなに気にしていない外見のことを、他人に気にされなくてはいけないのか…。

雑誌を見れば、モテ服モテメイクモテ顔!!なんて見出しがずらり。相変わらず異性を意識したファッションばかりで個性なんて見出せやしないじゃんと思う。流行りを追求したい人に反対はもちろんしないけれど。

 

こういう窮屈なところがあっても日本は母国であって、日本が好きだからもっといきいき自由に生きられる国になってほしい、そういう国を作りたいと思う。しかしこんなことを言っているけれど、決してDCが恋しくてたまらないわけではない。

 

 

ブログにも何回も書いたように、DCという特殊な地域にも窮屈なところはある。アメリカ人の友人が「アメリカ人でさえDCで生き抜くのは大変だ」と言っていたことは、私がDCがしんどいとつぶやいたことに対する同情ではなくきっと本心だった。

 

カリフォルニアの方が何倍も気が楽だ。そんなことを自身満々に言うアメリカ西部出身の友人たちが言ったことに今となっては共感する。

 

自由はDCの方がある。発言の自由、個人の自由、なんに関しても、あまり他人に干渉されることはない。あるのは、頭のいい人ばかりが集まる場所でのプレッシャーくらい。いつの間にか自分のしたいことを忘れてしまって、自分の周りにいる人間に勝つためだけのプライドに無意識のうちに押しつぶされる雰囲気がある。そうなってしまったら怖いもんだ。

自分も日本に帰って友人と話して初めてそれに気が付いた。危ない危ない。

 

 

日本の生活が何かとキレイで快適で、なんといってもあの大統領のおかげで今はDCに帰る気力があまりわかないから、最近よくDCに帰ったらしたいことを(無理やり)自分に問いかけている。

 

なにが恋しいかなあ。

 

大好きな会いたい友達がいる。

一人暮らし。

たまに出来る自分時間にカフェで読む時代小説。

今日の夜ごはんは何にしようかなと考えながら歩き回るオーガニックスーパーでのひと時。

バスの運転手さんの降り際の「Have a good night」。

 

 

こう思い返してみると、素朴だなぁ。パーティもバーもお酒も恋しくない。

素朴なことが一番恋しかったりするんだ。

 

日本に長年住んでいた私のアメリカ人の親友がよく言う。

アメリカと日本、両方に自分を存在させられたらいいのに。どうして一か所を選ばないといけないんだろう。

 

私もまさに同じ気持ち。

 

 

自分を世界の一部と考えるか否か

 

 

常に世界を客観視。

 

 

私はいつもそうしていると思ってた。

実際にそうしている部分もある。

例えば、混み合うバー。どっちかというとわいわい騒ぐより、周りでナンパしようとしている男とされようと頑張る女を傍から観察して自分の中で賭けをする派だ。

後ろ斜めで聞こえる男たちのこんな声。

「ほんとこのバーってナンパには最適だよな」

そして斜め前には静かにたたずむ女の子たち。

この男たちはあの女のもとへ行くだろうなーとその勘は5分もしないうちにあたる。

(よし、当たった)

 

こんな風に。

 

 

だがしかし、そういう風に楽しめるなら、客観的に物事をとらえるということに悪いことはない。きっと人生は7割くらい客観的に生きた方が楽しめるかもしれない。

 

でも私はどうにもこうにもそうはいかないことも多々ある。

 

そのナンパを目撃したバーでも気持ちよく酔っぱらっていた自分は気付かぬうちに消えていて、もはや人間観察のためにその場にいるようになる。

 

 

あーまた醜いナンパだなあーとそう思って笑えたら楽しいと思うが、そこから深入りしすぎて、男と女の定義なんかを考え始めてしまう。

友達の話を聞いて、不倫なんてなにやってんのよーそう他人ごとのように笑えたらいいなと思う。どうせ私には関係のないことなんだから。けれどそんな友達の話を聞きながら頭の片隅で、不倫を正当化する人の心理と性格なんかを考え始めてしまう。

 

人は人、自分は自分だし、別に人の目や事情を気にしているわけではないけど、そう考えているうちに眉間にしわがよって、なんて世の中だ。という結論に至ることが8割。

 

こうやって書いていても、どうして自分はこんなにも考えてしまうのだろう、人生はどれぐらいの割合で客観視が必要なのだろう。なんて考えてしまって、終わりが見えない。

 

このままでいいということにしようか。結局この癖は治らないし。

 

でもやっぱり、すべて割り切って100%客観視して物事を笑える友達が羨ましかったりする。

 

「るん」を大切にする

 

一週間に一回完全なるオフdayを作る。 

 

 

これは大学院に行き始めてから始めたこと。毎日遅くまで図書館にこもって、帰って、朝起きてまた図書館、みたいな生活をひっきりなしに続けていたら頭がパンクすると思って、この日までに頑張るという日を作って、その日はできるだけ何も考えずに過ごす。いやこれは、平日勉学に励み、週末遊ぶという過ごし方をする向この学生みたいに、効率を考えても絶対誰もが実践するべきことだと思う…。

 

 

ということで、今日は大事な休息日。

だからといって特別なことはなく、最近の夏バテで食欲もなかったからだをゆっくり休ませていただけ。おかげで今日はしっかりごはんも食べられて、体重も少し戻った。

 

 

 

やることが少しあったので、夜は近くのカフェへ作業をしに出かけた。

試供品でもらったシャネルの香水をシュッと一振りしてみる。

思ったよりいい香りで、るん。 

大好きなライターさんの本を読了した。るん。

 

 

夜、お風呂上りに冷蔵庫にある午後の紅茶に手を伸ばすも、お肌の調子が危うかったので黒豆茶に変更した。大好きな氷のカランコロンって音を静かな夜に響かせたかったけど、クーラーに加えておなかを冷やす原因になるからやめた。

 

今日は一日すっぴんでも過ごせた。

 

特別なことはなかったけど、ちょっとした「るん」が何個かあって、体のケアも出来て今日も良い日でした。

 

あ、夕焼けもキレイだったからもう一つ。

 

 

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「るん」

 

 

ロマンチックな竹の日

 

七夕かあ…と心の中でつぶやいてふうとため息をつき、金晩に浮かれるサラリーマンを横目に自転車を走らせ、帰宅した、ごく普通の日。

しいていうなら、家に帰って、あと10分で終わってしまうというところで、急いで手を合わせてちっぽけなお願い事をしたくらい。

織姫と彦星は会えたのだろうか、遠距離って辛いよね。そう思いながら目をつむって心の中でお願いごとをした。織姫も彦星もただの幻想にすぎないと言ったら話はおしまい。だけど昔話を少し信じてしまう私にとってはとってもせつなくて素敵なお話。

 

あまりいい日ではなかった。

けど織姫と彦星が会えたと思えば良く眠れそう。

 

女も男も関係ねぇ。

いやあ、こうやって白紙を目の前にすると、あれ、今日あんなことやこんなこと思ったのに何を書くんだっけって忘れちゃうから本当、思ったことはメモにするのが後から一番効率的だな。

一つ覚えていることは、男と女の話。


本屋さんからの帰り道、夕焼け空を見ながらふと自分が昔なりたかった夢のことを思い出した。ちいさいころのケーキ屋さんとかおもちゃ屋さんとかそういう時代の話ではなく、中学校高校とか結構最近の昔話を。

わたし、消防士とか警察官とかFBIとかになりたかった。

実は。

でもなんの根拠もなくて、理由はただ一つ。

男も女もくそもない、私だってそういう仕事ができるんだって思いたかったし、世間に知らしめたかった。(大げさ)

今思えば、性への違和感とかカテゴライズされることが嫌いだったのはそのころからだったんだと今実感。

今実際に、大学院あと残り1年になり、のちに就職するところを考えたとき、そういえばあの時思っていた消防士=男、警察官=男みたいな発想は逆に性差別だったと気付いた。今やそんな考え方古くさい。フライトアテンダントにも男性はたくさん増えた。男性看護師さんもいる。あの時の私は私なりの反抗だった。(笑)


今でもよく聞く。レストランでアルバイトをしていた時、テーブルの上にあらかじめおいてある色とりどりの取り皿をお父さんが子供たちに「はい、○○ちゃんは女の子だから赤ね、●●くんは男の子だから青ね」って渡していたり。
せっせと働きながらも、その親子間のやり取りに違和感を感じてた。

 


哲学的な話になるが、前学期私は「女と男」主に育児についてエッセイを書いた。

「育児は女がするもの」

そう決めつけられて時がたって、
その決まり文句を分析してみた。

ある有名なジェンダー哲学者がこう言ってた。「女は男がいるから成り立つもの、女は男という存在から生まれる」
とんでもない考え方だと思った。そういえばそのエッセイの中で、その考えに真っ向から対立した。結論としては、生物学的に女の母性は女にしかないものであって、それが育児で最大の役割を果たしている、だけどこれが=として、育児=女 にはならない。
こういう生物学的な証拠があろうとも、役割分担の中にこれと言った決まりは存在しない。

結局女の方が向いているんだよ、男の方がいいんだよ、なんて言ってしまえば、もうそこでおしまい。



もう一つ、アメリカにいると、そこら中に筋肉マッチョな男、ボンキュッボンを目指す女がたくさんいる。ジムにいくとぷりぷりお尻を振りながら歩く女子や、これ見よがしにダンベルを持ち上げるマッチョたち。わたしはそのジムで何を思ったかというと、「冷めた」。
もちろん健康な体作りは大事。筋肉も大事。だけど、マッチョじゃないと男じゃねえ、みたいな風潮が強すぎて冷めた。別にマッチョを否定するわけじゃあないが。ブログを始めた当初もこんなことを書いた気がする。

話がそれた。言いたいことは、男も女も関係ねえ。ってこと。

おわり。

 

Struggle comes to the end

 

 

月曜日。

ラストウィーク、ラストスパート。月曜日ということで最後のGlobal Ethicsのクラスが終わった。最後の最後までまともにディスカッション参加できなかたったなぁ。でもこれで「哲学だったから」っていう言い訳は言いたくないので、来学期は哲学に負けないように夏休みを使ってしっかり復習予習しよう。

最近学校の課題に追われてて自分の単語帳がおろそかになってたから、またしっかりわからなかった英語を書き出すことを再開しました。2年ほど使ってたぼろぼろの自分単語帳も心機一転新しいノートに変えました。哲学用語もアカデミック用語ももっと実用できるようにアウトプットしなければ。

 

さて今日でこのクラスが終わったわけで、あとはファイナルペイパーを提出するだけ。磨きに磨きをかけて良いペイパーを仕上げたい…!!

 

「僕はグレードを付けるのが嫌いなんだ、クラスがある理由はグレードのためじゃない、学びのためにあるんだ」

 

って、最後まで哲学者は哲学思考でした。教授最高。