アメリカ大学院で奮闘中

ワシントンDCでの大学院生活記録。人権、社会、女性問題について勉強中。ゆるーり感じたことを書いてます。

自分を世界の一部と考えるか否か

 

 

常に世界を客観視。

 

 

私はいつもそうしていると思ってた。

実際にそうしている部分もある。

例えば、混み合うバー。どっちかというとわいわい騒ぐより、周りでナンパしようとしている男とされようと頑張る女を傍から観察して自分の中で賭けをする派だ。

後ろ斜めで聞こえる男たちのこんな声。

「ほんとこのバーってナンパには最適だよな」

そして斜め前には静かにたたずむ女の子たち。

この男たちはあの女のもとへ行くだろうなーとその勘は5分もしないうちにあたる。

(よし、当たった)

 

こんな風に。

 

 

だがしかし、そういう風に楽しめるなら、客観的に物事をとらえるということに悪いことはない。きっと人生は7割くらい客観的に生きた方が楽しめるかもしれない。

 

でも私はどうにもこうにもそうはいかないことも多々ある。

 

そのナンパを目撃したバーでも気持ちよく酔っぱらっていた自分は気付かぬうちに消えていて、もはや人間観察のためにその場にいるようになる。

 

 

あーまた醜いナンパだなあーとそう思って笑えたら楽しいと思うが、そこから深入りしすぎて、男と女の定義なんかを考え始めてしまう。

友達の話を聞いて、不倫なんてなにやってんのよーそう他人ごとのように笑えたらいいなと思う。どうせ私には関係のないことなんだから。けれどそんな友達の話を聞きながら頭の片隅で、不倫を正当化する人の心理と性格なんかを考え始めてしまう。

 

人は人、自分は自分だし、別に人の目や事情を気にしているわけではないけど、そう考えているうちに眉間にしわがよって、なんて世の中だ。という結論に至ることが8割。

 

こうやって書いていても、どうして自分はこんなにも考えてしまうのだろう、人生はどれぐらいの割合で客観視が必要なのだろう。なんて考えてしまって、終わりが見えない。

 

このままでいいということにしようか。結局この癖は治らないし。

 

でもやっぱり、すべて割り切って100%客観視して物事を笑える友達が羨ましかったりする。

 

「るん」を大切にする

 

一週間に一回完全なるオフdayを作る。 

 

 

これは大学院に行き始めてから始めたこと。毎日遅くまで図書館にこもって、帰って、朝起きてまた図書館、みたいな生活をひっきりなしに続けていたら頭がパンクすると思って、この日までに頑張るという日を作って、その日はできるだけ何も考えずに過ごす。いやこれは、平日勉学に励み、週末遊ぶという過ごし方をする向この学生みたいに、効率を考えても絶対誰もが実践するべきことだと思う…。

 

 

ということで、今日は大事な休息日。

だからといって特別なことはなく、最近の夏バテで食欲もなかったからだをゆっくり休ませていただけ。おかげで今日はしっかりごはんも食べられて、体重も少し戻った。

 

 

 

やることが少しあったので、夜は近くのカフェへ作業をしに出かけた。

試供品でもらったシャネルの香水をシュッと一振りしてみる。

思ったよりいい香りで、るん。 

大好きなライターさんの本を読了した。るん。

 

 

夜、お風呂上りに冷蔵庫にある午後の紅茶に手を伸ばすも、お肌の調子が危うかったので黒豆茶に変更した。大好きな氷のカランコロンって音を静かな夜に響かせたかったけど、クーラーに加えておなかを冷やす原因になるからやめた。

 

今日は一日すっぴんでも過ごせた。

 

特別なことはなかったけど、ちょっとした「るん」が何個かあって、体のケアも出来て今日も良い日でした。

 

あ、夕焼けもキレイだったからもう一つ。

 

 

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「るん」

 

 

ロマンチックな竹の日

 

七夕かあ…と心の中でつぶやいてふうとため息をつき、金晩に浮かれるサラリーマンを横目に自転車を走らせ、帰宅した、ごく普通の日。

しいていうなら、家に帰って、あと10分で終わってしまうというところで、急いで手を合わせてちっぽけなお願い事をしたくらい。

織姫と彦星は会えたのだろうか、遠距離って辛いよね。そう思いながら目をつむって心の中でお願いごとをした。織姫も彦星もただの幻想にすぎないと言ったら話はおしまい。だけど昔話を少し信じてしまう私にとってはとってもせつなくて素敵なお話。

 

あまりいい日ではなかった。

けど織姫と彦星が会えたと思えば良く眠れそう。

 

女も男も関係ねぇ。

いやあ、こうやって白紙を目の前にすると、あれ、今日あんなことやこんなこと思ったのに何を書くんだっけって忘れちゃうから本当、思ったことはメモにするのが後から一番効率的だな。

一つ覚えていることは、男と女の話。


本屋さんからの帰り道、夕焼け空を見ながらふと自分が昔なりたかった夢のことを思い出した。ちいさいころのケーキ屋さんとかおもちゃ屋さんとかそういう時代の話ではなく、中学校高校とか結構最近の昔話を。

わたし、消防士とか警察官とかFBIとかになりたかった。

実は。

でもなんの根拠もなくて、理由はただ一つ。

男も女もくそもない、私だってそういう仕事ができるんだって思いたかったし、世間に知らしめたかった。(大げさ)

今思えば、性への違和感とかカテゴライズされることが嫌いだったのはそのころからだったんだと今実感。

今実際に、大学院あと残り1年になり、のちに就職するところを考えたとき、そういえばあの時思っていた消防士=男、警察官=男みたいな発想は逆に性差別だったと気付いた。今やそんな考え方古くさい。フライトアテンダントにも男性はたくさん増えた。男性看護師さんもいる。あの時の私は私なりの反抗だった。(笑)


今でもよく聞く。レストランでアルバイトをしていた時、テーブルの上にあらかじめおいてある色とりどりの取り皿をお父さんが子供たちに「はい、○○ちゃんは女の子だから赤ね、●●くんは男の子だから青ね」って渡していたり。
せっせと働きながらも、その親子間のやり取りに違和感を感じてた。

 


哲学的な話になるが、前学期私は「女と男」主に育児についてエッセイを書いた。

「育児は女がするもの」

そう決めつけられて時がたって、
その決まり文句を分析してみた。

ある有名なジェンダー哲学者がこう言ってた。「女は男がいるから成り立つもの、女は男という存在から生まれる」
とんでもない考え方だと思った。そういえばそのエッセイの中で、その考えに真っ向から対立した。結論としては、生物学的に女の母性は女にしかないものであって、それが育児で最大の役割を果たしている、だけどこれが=として、育児=女 にはならない。
こういう生物学的な証拠があろうとも、役割分担の中にこれと言った決まりは存在しない。

結局女の方が向いているんだよ、男の方がいいんだよ、なんて言ってしまえば、もうそこでおしまい。



もう一つ、アメリカにいると、そこら中に筋肉マッチョな男、ボンキュッボンを目指す女がたくさんいる。ジムにいくとぷりぷりお尻を振りながら歩く女子や、これ見よがしにダンベルを持ち上げるマッチョたち。わたしはそのジムで何を思ったかというと、「冷めた」。
もちろん健康な体作りは大事。筋肉も大事。だけど、マッチョじゃないと男じゃねえ、みたいな風潮が強すぎて冷めた。別にマッチョを否定するわけじゃあないが。ブログを始めた当初もこんなことを書いた気がする。

話がそれた。言いたいことは、男も女も関係ねえ。ってこと。

おわり。

 

Struggle comes to the end

 

 

月曜日。

ラストウィーク、ラストスパート。月曜日ということで最後のGlobal Ethicsのクラスが終わった。最後の最後までまともにディスカッション参加できなかたったなぁ。でもこれで「哲学だったから」っていう言い訳は言いたくないので、来学期は哲学に負けないように夏休みを使ってしっかり復習予習しよう。

最近学校の課題に追われてて自分の単語帳がおろそかになってたから、またしっかりわからなかった英語を書き出すことを再開しました。2年ほど使ってたぼろぼろの自分単語帳も心機一転新しいノートに変えました。哲学用語もアカデミック用語ももっと実用できるようにアウトプットしなければ。

 

さて今日でこのクラスが終わったわけで、あとはファイナルペイパーを提出するだけ。磨きに磨きをかけて良いペイパーを仕上げたい…!!

 

「僕はグレードを付けるのが嫌いなんだ、クラスがある理由はグレードのためじゃない、学びのためにあるんだ」

 

って、最後まで哲学者は哲学思考でした。教授最高。

 

あるある質問 where are you from の違和感

 

先日、ウーバーを使ったときに、「Are you chinese?」と言われた。私含めて日本人6人で利用したんだけど、どうやら私達中国人に見えたらしい。

「ここらで日本人はあまり見ないから珍しいねえ」って、きっと悪気はなかったのは間違いないんだけれど、言葉に敏感な私は、こうゆうのねえ~って客観的に考えてました。(ちなみに運転手は韓国人でした)

 

いろんな人に聞くと、やっぱり中国韓国日本って顔で区別がつかないらしい。

私達がヨーロッパの人達を見てあまり区別できないのと同じで。

たまたま私達みんな日本人だったからいいけれど、これでもし私が日系アメリカ人だったら、もっと異様な感情になってたに違いないと思う。しかも Are you from China?じゃなくて Are you chinese?の方がチャイナに限らず、違和感。

 

前に半年間参加したインターナショナルな生徒とかインターナショナルな交流がしたいアメリカ人との週1回のTALKというプログラムに参加していた時に印象に残っているトピックをそのウーバーの中で思い出した。

それは、「外見から判断して、ましてやミックスな人種がありふれている今の時代にWhere are you from?と聞くのは失礼だ」ということ。

 

 

日本なんかではよく目にする。”外国人”がやっぱりまだレアな国だから皆興味津々に第一声にどこ出身なの?と聞く。だけど、それを会話の第一声にもってきては、不快に感じる人も多いと思う。

実際にそのクラスで聞いてみたら、日本で長年働いてた赤毛のアメリカ人が、日本の田舎で、「でもアメリカ人で赤毛でその肌の色って珍しいわねえ、本当はどこ出身なの?」とたびたび聞かれてうんざりしたらしい。アメリカ=金髪色白という固定観念がその人達には根付いていたからでしょう。そんなありふれたステレオタイプ、昔の話のようだけど、彼女もまだ若いので1,2年前とか最近の話。

 

興味本位で知りたいのはもちろん私にも分かるけれど、せめて会話の一発目に尋ねるのはよしたいところだよな…と思うウーバーでの帰路でした。

 

アプリを消して人生リセット

 

 

 

今日は朝からしとしと雨が降っております、アメリカDCです。今日は一日中目らしい。なんと今日から4日間連続で雨らしい。

空もニコニコしすぎて疲れたのかな、ちょっとオフデイかな。

私も今週は疲れたので、この雨と一緒にちょっと癒されることにします。

とは言っても、私は今日も朝から図書館。この図書館に入った瞬間に感じるホーム感、相当やばいな。苦笑

でも図書館大好きなのでもうここに住んでもいい私。

 

 

 

 

ところで最近携帯の容量が限られてきて、(私の携帯もそろそろ寿命...)どれかのアプリを消さなければならないという境地に立たされたのですが、私の携帯本当に必要なアプリしかもともと入っていないのに、何を消せと言うんだよ、と思いつつ、しぶしぶインスタグラムを消したんです。またすぐに入れればいいやと思い。

ツイッターとFBは私の情報源なので、絶対に選択肢にはなく、インスタちゃんとおさらばしました。(泣)

 

そうしたら、気づいたんです、もともといらない存在だった~

 

インスタってかわいい人をフォローしてたり、景色の写真だったり、なにか暇があればぱぱっと開いてじーーーーっと眺めて気づけば1時間とかもあるんですよね。

バスを待っている間、バス乗車中、授業が始まるまでの10分、休憩時間、家に帰って寝る前の15分、その他。

 

そしてそこからインスタを消してみたら、本当に自分がどれだけ無駄な時間を過ごしていたのかと、この時間にどれだけの課題をこなせたかと、どれだけ自分の時間が他人に吸い取られていたのかと、思ったわけです。

今思えば、他人の生活とかどうでもいい。(ぶっちゃけ)

 

友達のインスタはたまに見てああこの人元気かな、会いたいなと思うくらいでいい、かわいい人を見る人も幸せだけど、そんなにちょこまか見る必要もない。友達がインスタストーリーで金曜日の夜にバーでわちゃわちゃしているのを見て、今夜も私は図書館でリーディングかあはあああなんて落胆的にならなくてもいい。インスタにあげたいからこの写真を撮ろうとか、インスタ主体の考えにならなくてもいい。

 

こうゆうSNSって他人のためにアプリになっていることをしばしば感じるけどそれってすごい怖いこと。そして他人の人生に自分の時間を無意識に奪われているのも怖い。そして悲しい。

 

消して本当にすっきり。

本当に区切りがついて暇なときにまたインストールして友達をちらちと覗きに行こうかな。