せっかくの人生だもの。

ワシントンDCから帰国して早2年。大学院で人権、社会、女性問題について勉強してました。帰国後日本でOL中。人生ってなんだろうなぁ〜日々感じたことを書き記して生きたい。

女も男も関係ねぇ。

いやあ、こうやって白紙を目の前にすると、あれ、今日あんなことやこんなこと思ったのに何を書くんだっけって忘れちゃうから本当、思ったことはメモにするのが後から一番効率的だな。

一つ覚えていることは、男と女の話。


本屋さんからの帰り道、夕焼け空を見ながらふと自分が昔なりたかった夢のことを思い出した。ちいさいころのケーキ屋さんとかおもちゃ屋さんとかそういう時代の話ではなく、中学校高校とか結構最近の昔話を。

わたし、消防士とか警察官とかFBIとかになりたかった。

実は。

でもなんの根拠もなくて、理由はただ一つ。

男も女もくそもない、私だってそういう仕事ができるんだって思いたかったし、世間に知らしめたかった。(大げさ)

今思えば、性への違和感とかカテゴライズされることが嫌いだったのはそのころからだったんだと今実感。

今実際に、大学院あと残り1年になり、のちに就職するところを考えたとき、そういえばあの時思っていた消防士=男、警察官=男みたいな発想は逆に性差別だったと気付いた。今やそんな考え方古くさい。フライトアテンダントにも男性はたくさん増えた。男性看護師さんもいる。あの時の私は私なりの反抗だった。(笑)


今でもよく聞く。レストランでアルバイトをしていた時、テーブルの上にあらかじめおいてある色とりどりの取り皿をお父さんが子供たちに「はい、○○ちゃんは女の子だから赤ね、●●くんは男の子だから青ね」って渡していたり。
せっせと働きながらも、その親子間のやり取りに違和感を感じてた。

 


哲学的な話になるが、前学期私は「女と男」主に育児についてエッセイを書いた。

「育児は女がするもの」

そう決めつけられて時がたって、
その決まり文句を分析してみた。

ある有名なジェンダー哲学者がこう言ってた。「女は男がいるから成り立つもの、女は男という存在から生まれる」
とんでもない考え方だと思った。そういえばそのエッセイの中で、その考えに真っ向から対立した。結論としては、生物学的に女の母性は女にしかないものであって、それが育児で最大の役割を果たしている、だけどこれが=として、育児=女 にはならない。
こういう生物学的な証拠があろうとも、役割分担の中にこれと言った決まりは存在しない。

結局女の方が向いているんだよ、男の方がいいんだよ、なんて言ってしまえば、もうそこでおしまい。



もう一つ、アメリカにいると、そこら中に筋肉マッチョな男、ボンキュッボンを目指す女がたくさんいる。ジムにいくとぷりぷりお尻を振りながら歩く女子や、これ見よがしにダンベルを持ち上げるマッチョたち。わたしはそのジムで何を思ったかというと、「冷めた」。
もちろん健康な体作りは大事。筋肉も大事。だけど、マッチョじゃないと男じゃねえ、みたいな風潮が強すぎて冷めた。別にマッチョを否定するわけじゃあないが。ブログを始めた当初もこんなことを書いた気がする。

話がそれた。言いたいことは、男も女も関係ねえ。ってこと。

おわり。

 

Struggle comes to the end

 

 

月曜日。

ラストウィーク、ラストスパート。月曜日ということで最後のGlobal Ethicsのクラスが終わった。最後の最後までまともにディスカッション参加できなかたったなぁ。でもこれで「哲学だったから」っていう言い訳は言いたくないので、来学期は哲学に負けないように夏休みを使ってしっかり復習予習しよう。

最近学校の課題に追われてて自分の単語帳がおろそかになってたから、またしっかりわからなかった英語を書き出すことを再開しました。2年ほど使ってたぼろぼろの自分単語帳も心機一転新しいノートに変えました。哲学用語もアカデミック用語ももっと実用できるようにアウトプットしなければ。

 

さて今日でこのクラスが終わったわけで、あとはファイナルペイパーを提出するだけ。磨きに磨きをかけて良いペイパーを仕上げたい…!!

 

「僕はグレードを付けるのが嫌いなんだ、クラスがある理由はグレードのためじゃない、学びのためにあるんだ」

 

って、最後まで哲学者は哲学思考でした。教授最高。

 

あるある質問 where are you from の違和感

 

先日、ウーバーを使ったときに、「Are you chinese?」と言われた。私含めて日本人6人で利用したんだけど、どうやら私達中国人に見えたらしい。

「ここらで日本人はあまり見ないから珍しいねえ」って、きっと悪気はなかったのは間違いないんだけれど、言葉に敏感な私は、こうゆうのねえ~って客観的に考えてました。(ちなみに運転手は韓国人でした)

 

いろんな人に聞くと、やっぱり中国韓国日本って顔で区別がつかないらしい。

私達がヨーロッパの人達を見てあまり区別できないのと同じで。

たまたま私達みんな日本人だったからいいけれど、これでもし私が日系アメリカ人だったら、もっと異様な感情になってたに違いないと思う。しかも Are you from China?じゃなくて Are you chinese?の方がチャイナに限らず、違和感。

 

前に半年間参加したインターナショナルな生徒とかインターナショナルな交流がしたいアメリカ人との週1回のTALKというプログラムに参加していた時に印象に残っているトピックをそのウーバーの中で思い出した。

それは、「外見から判断して、ましてやミックスな人種がありふれている今の時代にWhere are you from?と聞くのは失礼だ」ということ。

 

 

日本なんかではよく目にする。”外国人”がやっぱりまだレアな国だから皆興味津々に第一声にどこ出身なの?と聞く。だけど、それを会話の第一声にもってきては、不快に感じる人も多いと思う。

実際にそのクラスで聞いてみたら、日本で長年働いてた赤毛のアメリカ人が、日本の田舎で、「でもアメリカ人で赤毛でその肌の色って珍しいわねえ、本当はどこ出身なの?」とたびたび聞かれてうんざりしたらしい。アメリカ=金髪色白という固定観念がその人達には根付いていたからでしょう。そんなありふれたステレオタイプ、昔の話のようだけど、彼女もまだ若いので1,2年前とか最近の話。

 

興味本位で知りたいのはもちろん私にも分かるけれど、せめて会話の一発目に尋ねるのはよしたいところだよな…と思うウーバーでの帰路でした。

 

アプリを消して人生リセット

 

 

 

今日は朝からしとしと雨が降っております、アメリカDCです。今日は一日中目らしい。なんと今日から4日間連続で雨らしい。

空もニコニコしすぎて疲れたのかな、ちょっとオフデイかな。

私も今週は疲れたので、この雨と一緒にちょっと癒されることにします。

とは言っても、私は今日も朝から図書館。この図書館に入った瞬間に感じるホーム感、相当やばいな。苦笑

でも図書館大好きなのでもうここに住んでもいい私。

 

 

 

 

ところで最近携帯の容量が限られてきて、(私の携帯もそろそろ寿命...)どれかのアプリを消さなければならないという境地に立たされたのですが、私の携帯本当に必要なアプリしかもともと入っていないのに、何を消せと言うんだよ、と思いつつ、しぶしぶインスタグラムを消したんです。またすぐに入れればいいやと思い。

ツイッターとFBは私の情報源なので、絶対に選択肢にはなく、インスタちゃんとおさらばしました。(泣)

 

そうしたら、気づいたんです、もともといらない存在だった~

 

インスタってかわいい人をフォローしてたり、景色の写真だったり、なにか暇があればぱぱっと開いてじーーーーっと眺めて気づけば1時間とかもあるんですよね。

バスを待っている間、バス乗車中、授業が始まるまでの10分、休憩時間、家に帰って寝る前の15分、その他。

 

そしてそこからインスタを消してみたら、本当に自分がどれだけ無駄な時間を過ごしていたのかと、この時間にどれだけの課題をこなせたかと、どれだけ自分の時間が他人に吸い取られていたのかと、思ったわけです。

今思えば、他人の生活とかどうでもいい。(ぶっちゃけ)

 

友達のインスタはたまに見てああこの人元気かな、会いたいなと思うくらいでいい、かわいい人を見る人も幸せだけど、そんなにちょこまか見る必要もない。友達がインスタストーリーで金曜日の夜にバーでわちゃわちゃしているのを見て、今夜も私は図書館でリーディングかあはあああなんて落胆的にならなくてもいい。インスタにあげたいからこの写真を撮ろうとか、インスタ主体の考えにならなくてもいい。

 

こうゆうSNSって他人のためにアプリになっていることをしばしば感じるけどそれってすごい怖いこと。そして他人の人生に自分の時間を無意識に奪われているのも怖い。そして悲しい。

 

消して本当にすっきり。

本当に区切りがついて暇なときにまたインストールして友達をちらちと覗きに行こうかな。

 

 

私の華金

 

 

早くも4月も終盤に差し掛かりましたね~早い早い早すぎる。

 

 

今日は授業のあとに学校の近くのカフェで久々の友達とランチをしました。

学校からちょちょいとバスで下ると、大きな大聖堂があって、そこの横にカフェがあります。

いやぁやっぱり息抜きは大事。

 

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今日は暑すぎず寒くもなくちょーどいい具合のお天気。こんなキレイな景色を見ながら延々とガールズトーク

 

女子は話すことがたくさんで、忙しいわね…

 

 

 私の華金は友達とのおしゃべりで十分です。

 

 

 

花粉症

 

が、ついに私にも訪れた疑惑が…

家族みんな花粉症持ちで、弟も私の分も全部とっていったのかってくらい、大量のアレルギー持ちで、私だけ何もないやっほーいと思っていましたが、ここアメリカに来て私も花粉症の仲間入りなのでしょうか。

 

どうやら調べてみると、アメリカの花粉症の方が強いらしく、この頑固な体でも反応してしまったのか…まだ風邪なのか花粉症なのかは見分けられてないので、なんとも言えないけれど、さっきから図書館でくしゃみの前兆がたびたび起きてて辛い。しかもここ超サイレントフロアなのに、くしゃみが出そうで出ないときに出るあの変な声を出しまいと必死にこらえてて辛い。

 

マスクしたいのはやまやまなんだが、アメリカではマスクがつけられないことも辛い…

ふぁああああ~

 

怒涛の2日間、”辛い”は乗り越えた

 

今学期2つのファシリテーション(先生代わりになってクラスを仕切ること)があって、それが4月のそう、まさに、今週の月火に固まってたわけですね。

それがやっと終わって、今、開放感に溢れてます。やったーーーーーーー

 

しかも二つとも哲学の授業で、「日本語でも哲学なんて危ういのに英語で哲学を、そして生徒の中心になって先生代わりするってどういうことだよ」と、本当にどうなることかと思って、結構真剣に日本に帰りたいもう現実逃避したいもういやだと心の奥底から思ったけど、今終わってみて、とてつもない達成感と喜びでいっぱいです。

 

 

月曜日のクラスリードは2時間半で、ペアのナンシーと環境問題の哲学についてひたすらクラスのディスカッションをリードするというもので、今日火曜日の方はアメリカの刑務所事情についての授業で、黒人女性がどれだけアメリカの大量収監の被害者になっているかというジェンダー視点の本についてプレゼンしながらクラスのディスカッションをリードするというもの。こちらはソロだったので、本当にクラスメイト全員芋だと思ってやりました。(でやはり芋には見えないくらい秀才の集まりだったわ結局)

 

大学院は(特に私の専攻は話す内容に答えがないので)クラスがすべてディスカッション方式です。ついでに人数も少ないから、クラスメイトと打ち解ける機会はあるものの、おいていかれたら一人目立ってしまうという厄介なものです。(たびたびおいて行かれてます)

 

月曜日の環境哲学も、今日の刑務所の関するジェンダー哲学も、みんなすごくディスカッションしてくれたので、本当に助かった。

リードするはいいけど、クラスが沈んでたらどうしようと思って、昨日も一睡もせずに気づけば朝まで徹夜してました。前日の化粧も落とさずシャワーだけ浴びて、朝の7時に学校に行き、授業が始まるまでひとりでぶつぶつ練習してました。

 

終わって家に帰ってシャワーを浴びて化粧落としてベッドにバタンと寝転ぶ喜びをあんなに贅沢に味わったのは久々すぎるくらいで、思わず声が出たくらい。

 

このプレゼンで思いました。

”試練は乗り越えられる者にしか訪れない”はいささか間違ってはいないんだと。

 

そして、皆の前で話す系のことは、学期前半に終わらしてしまおうと。

なぜなら、絶対に話さなければいけないクラスのディスカッションに思い切るまでは時間がかかってしまうけど、プレゼンなら強制的に人前で話すことができるから、クラスでのなじみもそっちの方が早いかもしれないということ、そして教授とかクラスにも覚えてもらえやすい。私は今回大失態でした。クラスでのディスカッションもなかなか深入りできてないのに、クラスに慣れてからにしようとクラスリードも後の方に申し込んでしまった。逆効果だった。って、もうあと2週間やそこらで終わる学期末につぶやいても仕方がない。

 

とりあえず今日は自分へのご褒美にアイスでも食べてみる。